会津城

  1. 会津・若松市は福島県西部の市で、会津盆地南部とその南の山地を占め、東は猪苗代湖に面する。盆地に発達した中心市街は1384年の芦名氏の築城に始まる。会津戦争で城を始め市街は焼失したが城下町の面影が残り、又、会津塗り、酒など伝統の古い家内工業が行われる。
  2. 至徳元年・葦名直盛によって築かれた東黒川館が、若松城の前進といわれている。その後・伊達政宗、つづいて天正十八年・蒲生氏郷が入城して名称を鶴ヶ城と改めた。明治七年に天守閣をはじめ建物すべてが取り壊されたが、昭和四十年九月、その当時の姿をそのまま再現された。
  3. 天守閣は、城郭建築の中心をなす櫓で、戦国時代に居宅の上の望楼が発展し、武備を兼ねて堅固になった。又、江戸時代には、城主の権威の象徴として重視され、装飾化が進んだ。
  4. 戦国時代の砦・陣屋から江戸時代には、諸国の大名達が自分の居所と藩政を司る所として、また、外敵から身を守るために、その中心に天守閣を設けた。これを総称して城郭と言う。
  5. 1868年鳥羽伏見の戦いに敗れた藩主松平容保に追討命令が出され、官軍は会津を攻めた。会津は東北地方30余藩と同盟を結びこれに対抗、若松城に篭城して守ったが、9月についに降伏。藩士の子弟が組織した白虎隊が自刃したのはこの時。
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最終更新:2020年2月9日